社名 |
筑豊電気鉄道株式会社 (CHIKUHO ELECTRIC RAILROAD Co.,Ltd.) |
本社所在地 |
福岡県中間市鍋山町1番6号 |
設立年月日 |
昭和26年2月15日 |
役員氏名 |
代表取締役社長 牟田口 英貴 |
会社概要 |
弊社の建設は、第二次世界大戦以前に西鉄の前身のひとつであった九州電気軌道㈱が計画しました。
その後、昭和17年に5社が合併して創立された西鉄の初代社長は、工業都市北九州市、筑豊の炭都地帯、九州の玄関口である商都福岡市の3重要地域を高速鉄道で結ぶことを一大使命としました。
昭和18年に敷設免許申請を運輸大臣に提出、第二次世界大戦中とあり申請は返戻されましたが、昭和25年に敷設免許がおり、昭和26(1951)年2月に弊社が設立されました。 建設計画は、西鉄北九州線・西鉄大牟田線(現天神大牟田線)と同規格で、軌間1435mm、駅数30箇所、42両の車両を用いて急行30分~1時間ごと、普通30分ごとに運転し、 急行は表定速度52.5km/hで黒崎~福岡間の57.4kmを65分で結ぶというものでした。 昭和31(1956)年3月、貞元(現熊西)~筑豊中間間を営業開始し、昭和33(1958)年に木屋瀬まで、昭和34(1959)年に筑豊直方までと順次開通しました。 しかしながら、社会情勢の変化、特に石炭から石油へのエネルギー転換による筑豊炭田の衰退のため、昭和46(1971)年に未成線の筑豊直方~博多間の新線建設を断念しました。 平成12(2000)年11月の西鉄北九州線廃止後、黒崎駅前~熊西間0.6kmを譲り受け、黒崎駅前~筑豊直方間の16.0kmを運転し、北九州の副都心黒崎と中間市を経て直方市を結ぶ動脈となっております。 かつて西鉄北九州線の軌道路線に乗り入れる形で運行を開始したため、鉄道でありながら路面電車の車両が走る珍しい路線です。 沿線事業や交通広告業などの兼業も積極的に展開し、沿線地域社会の発展に寄与すべく努力しております。 |
社 章 ![]() |
当社の社章は、昭和30(1955)年3月10日に制定されたもので、西部図案協会の西島伊三雄氏へ依頼していたデザインに決定しました。西鉄の社章(当時)である鉄道の車輪をアレンジ、筑豊炭田の象徴であるツルハシを加えて独自性を出しています。 |
地方鉄道軌道 整備法による 認定事項 |
貞元~筑豊中間間(7.3km) 昭和31年7月7日付 鉄財第128号により認定 筑豊中間~筑豊直方間(8.1km) 昭和35年6月24日付 鉄財第273号により認定 |
鉄道事業法 第4条の規定 第26条第2項の規定 |
黒崎駅前~熊西間(0.6㎞) 平成12年3月27日付 鉄都第30号の2により認定 平成27年2月13日付 国鉄都第99号により認可 |
主要株主の株式数 持株比率 |
西日本鉄道株式会社 980,000株 100,000,000円 100% |
資本金 |
100,000,000円 |